スピリチュアルについての考え

スピリチュアルについて思うこと

基本的に日本人は霊性の高い意識を持っています。
しかし「禅」に代表されるように、過去の時代には世界的にも例を見ないような精神性の高さがあったにもかかわらず、現代の日本ではその貴重な意識の高さが損なわれつつあります。

これは「魂を磨くアセンションを阻む闇の手口」に詳しく書きましたが、アミューズメントとしての興味本位的な「スピ」や、「癒し」のみを求める逃避としての「スピ」、そして素人を騙す詐欺的な「スピ」など、そういう妄想と直感の区別がついていないスピリチュアルが今の日本では横行してしまっています。

これらは不安な自分に自信がもてず、自己を確立出来ていないから何かに依存し、そこに逃避することによって虚構の安心を得ようとしているものです。
そしてこれは意識の向上とは真逆の方向で、かえって意識が低下していきます。

意識の向上とは、 人に頼らず自分の足で大地に立つ姿勢から生まれます。
ですから、逆にそういった軽薄な「スピ」を見抜き、それを受け入れない人のほうにむしろ高い精神性があるように私は思います。

しかし時代は怒涛の如き大きな変化を目の前にしています。
スピリチュアルの精神が分かっていようが、なかろうが、誰もこの変化から逃れることは出来ません。

最終的に自分が至った意識の波動の世界に私たちは集束されていくようになります。

不安や怖れを捨て、自分が本当に「こうありたい自分」になること・・・
本などから得られるものは単なる知識であって、意識の向上には寄与しないものです。
目覚めとは、「自分をしっかりと観察する自分」そして高くて強い「霊的な波動」に共振し、自分を浄化することによって促進されるものです。

その為の時間はもうそんなに残されていません。
あなたが変化を意識しているのであれば、今という時代はもう後回しをすることは辞めるべき時なのです。